西伊豆 なまこ壁 [旅 まち歩き]
西伊豆、松崎町は、なまこ壁が連なるまちです。なまこ壁は平らの瓦を外壁に貼り、瓦と瓦の間を漆喰で埋めていくもので、防火性抜群の壁です。もちろん、雨にも強いわけでして、土地柄求められた壁であったのだと思います。漆喰も瓦も元は天然素材。何百年も経っているにもかかわらず、びくともしない美しさを誇る姿には、まさに素材の力を思いました。
↑ 2階レベルでほとんど軒が出ていない家が多いようでして、風が強く、軒への吹上で屋根が飛ぶのを防ぐ為なのでしょうか。蔵で軒が出ていないのは、軒で火を受けると大火事につながることから、壁から屋根を連続させるデザインになったそうです。住宅も同じ理由なのかもしれません。だけれど、日本地図のスケールから考えれば、松崎町は風の通り道であることは明白。日本列島はホントに縦に長く、ところの風を考えないと大変な目にあいそうです。
なまこ壁は外壁だけではなく、塀にも施されていました。連なると本当に美しいものです。
↑↓ 伊豆文邸です。明治43年の建築で、延べ床面積約260㎡、呉服屋さんだったそうです。なまこ壁造りの土蔵2棟も残されていました。所有者の方はもうこの地に住んでいないらしく、町に建物寄贈されたそうです。
↑ 屋根の瓦も一枚一枚、漆喰で抑えている家もありました。
↑ 明治商家中瀬邸です。呉服商を営んでいた依田家の商家です。明治初期に数代の内に材を成したと聞けば、土地柄、開国の恩恵も受けていたことでしょう。現在は町が譲り受け、総合インフォメーションセンターとして機能しているとのこと。
↑ このケヤキの大黒柱に松の土台! 立派です。
↑ 欄間の細工が繊細で、美しいこと。今時つくるとなったら大変なお金になることでしょう。
あくまで持論ですが、松崎町の人々は比較的裕福だったのではないでしょうか。なまこ壁などは、手造りが普通の昔にしても、決して安い仕様ではなかったと思いますし、少し北の集落では見られない壁です。さらに、確かに現代でも、伊豆はケヤキがよく流通していると聞きますが、古い民家の梁や柱にしても、かなり立派な松やケヤキが使われていました。何より、先にレポートした明治13年築の小学校は、建設費の4割が村民の寄付といいます。下田も近いことですし、海から来る富が成せることも多かったのではないでしょうか。
何はともあれ、その地域固有条件の集積が建築なのだと、改めて思った次第です。
↑↓ 締めは、その土地を知るための場所へ。松崎町は海からの恵みを受けた町ということで、港へGO!
というわけで、先程、無事帰って参りました。勉強になり、充実した2日間でした。夫にも感謝したいと思います。西伊豆は良いですね。海に沈む夕日が拝めますし、お顔がシャープな野鳥にも会えますし。また、何年後かに訪れたいと思います。その日のためにも、さぁ、明日から、また頑張りますゾ!!!
コメント 0